permanent exhibition常設展示
国宝に指定された「群馬県綿貫観音山古墳出土品」を展示する国宝展示室、原始・古代・中世・近世・近現代にいたる通史展示、
最先端のデジタル技術を導入したデジタル埴輪展示室があります。
群馬県の歴史や文化の特色について、実物資料を中心に模型・映像などを用いてわかりやすく、かつ楽しみながら学べます。
展示室案内図
国宝展示
通史展示
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原
始石器・土器・金属器など道具を用いた
人々のくらしぶりを紹介します。
人類の歴史は旧石器時代から始まります。人々は石器を使い、簡単なイエをつくり、食べ物を求めて移動していました。
気候が温暖な縄文時代になると、人々は土器や弓矢を使い、竪穴住居で定住生活を始めます。森の恵みでくらしは豊かになり、土偶などの祈りの道具や耳飾りもつくられました。
弥生時代になり、大陸から伝えられた米づくりがやがて群馬県地域にも広まりました。
金属器や墓をはじめ新しい技術や文化も伝えられ、次第に社会も変わり始めました。
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古
代古墳から上野三碑・上野国分寺まで、
古代東国の中心・群馬の輝きを学べます。
古墳時代、群馬県地域にあたる上毛野を治めた豪族たちは、ヤマト王権と連合関係を結び、東アジアの進んだ文化や技術を取り入れました。その中には東日本最大の前方後円墳を築いた人物もいました。
7世紀以後律令体制が整備され、上毛野国(のち上野国)が成立するとともに、豪族たちは仏教文化を受け入れて寺院を建立しました。また、東国の玄関口にあたる上野国は、中央政府が進める東国政策の拠点として発展し、馬の飼育や鉄生産が盛んになりました。
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中
世中世の戦乱の中でたくましく生きぬいた
東国武士の地域づくりを学べます。
中世は武士が政治に加わり、領主として地域支配に臨んだ時代です。
上野国では新田氏や上杉氏が力をもちましたが、やがて長野氏や由良氏といった新しい勢力が現れ、戦国乱世の扉を開けました。
一方で武士たちは寺院を建立するなど、地方文化を開花させました。
民衆は神や仏に救いを求めつつ、村や町に集まって徐々に力をつけました。
上野国の武士や民衆は、北条氏や武田氏などの戦国大名のはざまにあって、したたかに地域をつくっていきました。
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近
世関東北辺の水陸交通の要衝として、
産業・文化が栄えた近世上州を学べます。
1590年、徳川家康が江戸に入ると上野国には有力な家臣たちが配置され、戦国乱世は収まっていきました。
泰平の世の始まりです。幕藩体制が安定すると養蚕・製糸・織物業などが発達し、水陸交通の要として江戸や各地と繋がる上野国は、人やものの往来が盛んになっていきました。
一方、1783年の浅間山大噴火や引き続く飢饉により、農村は困窮していきました。
1853年のペリー来航後、激しい動揺のなか幕府政治は終わりを告げ、時代は明治へと移っていきます。
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近
現
代富岡製糸場からスバルまで、
近代群馬のあゆみを産業史から学べます。
明治時代になると、群馬には富岡製糸場や多くの民間製糸場が誕生し、生糸の生産地として発展していきます。
生糸生産を支えたのは、高山社などが広めた養蚕技術でした。
昭和の戦争末期は、温泉地などは疎開地となり、中島飛行機など軍需工場が置かれた都市部は空襲の被害を受けました。
戦後は、群馬交響楽団や上毛かるたといった独自の文化が発達しました。